年を取るということは、
「何気ない日常のありがたみを感じることではないか」
と出張先の居酒屋でふと思いました。
訪問歯科のサポートを行うなかで、
院長に「どんな思いで訪問歯科を行うのか?」とヒアリングをする機会があります。
とある先生がいまして、その先生はもう60歳近い方でしたが、その年齢から訪問歯科を立ち上げるために私と契約してくださいました。
ヒアリングの際にいつものように尋ねてみました。
前田「先生はどんな思いで訪問歯科を行いますか?」
先生「人生には行きと帰りがある。行きは『出来ないことが出来るようになる』ことがとても楽しい。日々成長していく輝かしい時間。でも折り返し地点を過ぎて帰りになると、『出来ていたことが出来ないようになる』。それは人間にとってとても悲しい思いをさせられる。訪問歯科で出会う患者さんは、そうした思いを日々感じながら生きておられる。私も折り返し地点を過ぎて久しく、その気持ちがとてもよく理解できる。だからこそ、患者さんのそうした思いに寄り添いながら親身に治療をしようと思っている」
そのように仰いました。10年近く前のことです。
私は今、まさに折り返し地点付近にいるのだと思います。
・友人とワイワイ楽しむこと
・親と何気ない会話をすること
・家族そろって食事すること
そうした当たり前のような日常が、いずれ出来なくなる日が来ることをふと感じて、
そしてこの先生の言葉を思い出した次第です。
当たり前のような日常が有限であると自覚し、
そのありがたみを感じることが年を取ることならば、それをしっかりと味わっていこう。
・スタッフとともに仕事をする中で思い通りにならずに感情的になってしまうこと。もう少し○○をしてくれたらなあと思うこと。
・顧客(患者)に感謝されること。クレームを言われること。
仕事においても、「良いこと」も「嫌なこと」も、すべてがいつかは出来なくなること。
そんな有限性を感じながら毎日の仕事に向かうと、少し違った味わいある景色に見えるのではないかと。
そんなことを出張先の居酒屋でふと思いました。
酔いから醒めて忘れるのも嫌なので備忘録として(^^)
秋ですね~。